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interviewロールモデル インタビュー先輩のキャリアと人生設計

准教授

常岡 俊昭

専門分野

日本専門医機構精神科専門医・精神科専門指導医 精神保健指定医 医学博士

これまでのキャリア
  1. 1979年:

    出生

  2. 1992年:

    横浜の中高一貫の進学校 入学

  3. 1998年:

    昭和大学医学部 入学

  4. 2002年:

    早稲田大学のサークルに入って日本語ディベート全日本学生大会 ・ 英語ディベート全日本医学生大会 優勝

  5. 2004年:

    同上 卒業

  6. 2010年:

    精神保健指定医取得、昭和大学附属烏山病院に勤務

  7. 2012年~:

    入院患者対象アディクションプログラム作成

  8. 2013年:

    1年間バックパッカー(東欧・東南アジア・アフリカ・南米を中心にふらふら・イランやボリビアの精神科病院を見させてもらう)

  9. 2014年~:

    戻ってきてからアディクション治療にハマる。亜急性期、スーパー救急、慢性期各病棟長を転々と

  10. 2016年~:

    外来患者対象にSMARPP実施

  11. 2018年~:

    ギャンブル障害プログラム開始・東京グレイスロードに入ってもらう。

  12. 2019年~:

    アルコール・薬物・ギャンブル患者へのSBIRTS開始

  13. 2021年:

    閉鎖病棟に携帯電話を持込みオンライン自助グループへの参加を可能に ギャンブル依存症問題を考える会を院内で開いてもらう

  14. 2022年:

    オンラインメッセージ・内科との架け橋モデル・門限を2359

  15. 2023年:

    ギャンブルの拠点病院・薬物の専門医療機関へ。コロナクラスター下でも自助グループへ

  16. 2024年:

    障碍者雇用でギャンブル障害当事者を雇用、当事者主導の作業療法

依存症治療に情熱を注ぐ精神科医の軌跡と挑戦

精神科医を目指したきっかけ

医師になった理由は高校3年生のころに女友達がリストカットをしているのを見て不思議に思ったことでした。当時はリストカット自体が全然知らない言葉で(ネット検索も携帯電話もありません)自分の体を自分で傷つける行為の理由が分からなくて興味を持ちました。最初はカウンセラーが頭に浮かびましたが友達の親がカウンセラーで聞いてみたところ「馬鹿な医者に指示されることがあるからまずは精神科医になりなさい」と言われて納得して精神科医を目指しました。卒業したらすぐに精神科医になるつもりだったので、臨床研修医制度ができた時は6年間ほとんど興味のない身体の勉強させられてさらに二年間も興味ない事しなくては行けないのか、と行政裁判を考えました(結局、勝てたとしてもそんな医者を入局させてくれる医局がない、と言われて辞めました) 

精神科に入局してからは色々と楽しく働いてきたつもりでしたが、思ったのと違うな~とも思っていました。統合失調症やうつ病の人にどちらの薬が効くかを考えるのは性に合わず、結局「薬を飲め」の話になってしまうのも面白くなく、現在JECOにいる黒沢先生に弟子入りするも黒沢先生ほどじっくりと患者の話を聞くこともできず、とりあえずバックパッカーしたいな~だけ考えていた時間が長く旅仲間サークルに入ってみんなで自費出版(*1)などをしていました。当時は当直以外は毎日朝5時まで飲んでいた気がします。

依存症治療との出会い

依存症との出会いは2012年くらい、指定医を取った後に当時烏山病院がアルコール病棟をつぶした問題で方々とやり合っている時に、「この問題は病棟がなくても依存症対策チームがあれば解決するんじゃないか。チーム作ると言ったらメンバー好きに選ばせてもらえるんじゃないか」と思って当時の加藤院長に提案してみたのが始まりでした。一瞬で加藤先生から「やって」と言われて稲本先生の下でチームを作って患者を集めてやらせてもらいました。そこから薬や症状を取ることではなく、その人の生きにくさや人生をどうやって支えていくかに考え方がシフトした気がします。

世界を知る旅が与えた気づき

34歳で体力の衰えを感じて今やらないと厳しいと思ってバックパッカーへ(*2)。ボリビアの精神科病院での依存症治療が日本より進んでいるのを見て「お金がないからできない」は言い訳だな~って思いました。日本に戻ってきてからは日本中の沢山の回復者(かつて依存対象にハマっていたが今は手放している人)に会いました。対等に話すと僕の知らない世界をどんどんと教えてくれる薬物依存症者にはまりました。アルコール依存症者はかつての自分を見ているようでした。自助グループ(AA,NA,GA、断酒会など)に足を運んで彼ら彼女らの格好良い話を聞いて感動して自分の気持ちも話したりしていました。(*3)ある勉強会でギャンブル依存症の回復者である田中紀子さんの意見を聞くことがありました。ギャンブル依存症で初診に来る患者さんが増えて困っていたので、当事者目線で医療に求めているものを教えてほしいとメッセージしました。気が付いたら一緒にギャンブル依存症対策で講演したり拠点病院になっていました。

コロナ禍での患者支援の工夫

コロナでプログラムや自助グループが中止された際には患者さんから「コロナになっても死ぬ可能性は3%くらい、でも僕らはスリップ(依存対象を再度使う事)したら30%以上死ぬ。絶対にコロナかかるとしても集まる場所を継続してほしい」と言われて心を打たれて中止から3か月後にはオンラインでのグループを行いました。

そこから良いと思ったこと、楽しいと思ったことをどんどんやっていきました。病院に携帯を持ち込めるようにして、門限を23時59分にして、初診で患者さんに自助グループ参加者から自助グループを説明してもらったり、依存症プログラムの司会も患者さんにやってもらったり・・・。

これからの目標

精神科の良いところは一人の患者さんと長く付き合えって伴奏し続けられるところです。烏山病院にいる間に10年付き合った患者さんが亡くなって涙したこともありましたが、10年付き合ってその間に結婚して出産してと新たなステージへ進んでくれた人もいます。7年ぶりに「最近来なかったけどちょっと困っちゃって~」と駆け込んできてくれる人もいます。長く一つの職場にいることは自分の歴史であるだけでなく患者さんとの歴史を一緒に作っている事なんだな、と思うと、なかなか職場を映る気になれないなと思っていたら気が付いたら医者になって20年近くたちました。ずっと楽しい事だけやっていた気がします。残りも楽しいことをやっていきたいな~と思っているので一緒に遊んでくれる方募集中です!

*1
100人100旅 3 地球に残したぼくたちの足跡
100人100旅 6 100色で書いた世界地図 
100人100旅 8 そしてまた旅が始まる

*2
http://showaseisin.blog.fc2.com/

*3
僕らのアディクション治療法:楽しく軌道に乗れたお勧めの方法:星和書店,2019